かつて、織物のまちとして栄えた八王子も今では東京西郊の
文化・産業・交通の中心として、また学園都市として発展を続けております。
一方、街の中心を一歩出れば市民の心をなごませてくれる武蔵野の
豊かで美しい自然が広がり、風情のあるたたずまいを見ることが出来ます。
滝山街道は武者小路実篤が80歳半ぱ以降好んで散歩(車)したルートでした。
八王子インターから
滝山街遣を西へ気の向くままに、秋川を渡って
引き返していました。近隣の杏林大学、純心女子短大、創価大学など
自然に溶け込んだ佇まいや、左右に広がる丘陵風景などを楽しんでいました。
「八王子には 山があり
川がある
そして自然体の文化がある。だから好きなんだ。」
とよく散歩相手の孫の篤信氏に話していたそうです。
そんな思いが下敷きとなって文学碑が戸吹町の中央霊園内に建立され
やがて自らもここに眠られることとなりました。
近くにある滝山城址は織田信長、豊臣秀吉徳川家康の活躍していた
戦国時代末期 ・ 大永元年(1521年)に武蔵の豪族・大石定重が
築城した山城でした。大石定重の長男・大石定久、その養子
北条氏照(小田原・北条氏康の次男)の三代五十余年にわたる居城で、
栄禄十二年(1569年)の武田信玄の大軍による小田原攻略の際の
滝山城攻めでも落城しなかった名城でした。
武田信玄との戦いからの教訓や豊臣秀吉の小田原城攻めの風聞により
城主氏照は天正十五年に急遽八王子城を築城・移城し、これにより滝山城は
城郭としての使命を終えています。
現在、滝山城址には天守閣もなく建物跡も判り辛くなってはおりますが
城塞の周囲の自然は今も昔も変わりありません。
四季折々の、特に春の桜の季節、または秋の紅葉の季節に城郭の跡にたたずみ
眼下に多摩川の流れを望む雄大な景観は訪れる人々の目を飽きさせません。
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